「忠臣蔵なんてたかが芝居じゃねえか」
その、吉良上野の所領であった横須賀村一円で「忠臣蔵」
が長いあいだ禁制になっていたことは天下周知の事実である。
これは一面、吉良上野が彼の所領においては
仁徳の高い政治家であったということの反証にもなるが
同時に他の一面から言えば一世をあげて嘲罵の的となった
主君の不人気が彼の所領の人民を四面楚歌におとしいれた
こともたしかであろう。まったく「あいつは『吉良』だ!」
ということになると旅に出てさえ肩身の狭い思いを
しなければならなかった時代があるのだ。しかし、そうなれば、
こっちの方にも、(忠臣蔵なんてたかだか芝居じゃねえか)、
――という気持が湧いてくる。(うそかほんとかわかるものか、
あんなものを一々真にうけてさわいでいるろくでなしどもから
難癖をつけられているうちのおとのさまの方がお気の毒だ)――
これは、小説「人生劇場青春編」の序章に書かれた一説であるが、
名君吉良の殿様を慕う地元領民の気持ちを
正に代弁しているといえるのではないでしょうか。
次回につづく
郷土玩具にもなっている「吉良の赤馬」は、
名君「吉良公」が領内を廻るのに使った
背の低い馬で、領民と親しく言葉を交わしたと
伝えられます。