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2012年5月30日

軍艦島

先日、長崎旅行に行ってきました。


実は私、廃墟マニアでございまして、


長い間念願だった、軍艦島に上陸して参りました(*/∇\*)





一番軍艦に見えるアングルからの撮影♡



正式名称は「端島」というのですが、
海底鉱山の島で、岸壁が島全体を囲い、
高層鉄筋アパートが立ち並ぶその外観が、
軍艦「土佐」に似ていることから、
「軍艦島」と呼ばれるようになりました。




ちょっとここで基礎知識を・・・




端島では、1810年ごろに石炭が発見され、
佐賀藩が小規模な採炭を行っていましたが、
1890年三菱合資会社の経営となり、
本格的海底炭鉱として操業が開始されました。
当初は草木のない水成岩の瀬にすぎなかったこの小さな島は、
6回に渡って埋め立てる形で現在の島の形状となりました。
いわば、採炭のための人工の島ですね。


出炭量が増加するにつれ、人口も増加し、
狭い島で多くの人が生活するため、
1916年には、日本初の鉄筋コンクリート造の高層集合住宅が建設され、
最盛期には約5300人もの人々が済み、
当時の東京都の9倍もの人口密度にまで達しました。


電化製品(その当時、三種の神器と呼ばれた白黒テレビ、冷蔵庫、洗濯機)
の普及率はなんと100%だったそうです。
豊かな島だったのですね。





しかし、エネルギー革命により、
エネルギーの需要が石炭から石油に移ったことで、
出炭量も人口も徐々に減少し、1974年1月に閉山した後は、
同年4月に無人島となりました。


海底炭鉱である端島での発掘作業は、海面下1000m以上の地点まで及び、
勾配はきつく、気温30℃、湿度95%という悪条件のもと、
ガス爆発など常に危険と隣り合わせの過酷な仕事でした。
鉱内で交わされる「ご安全に」という挨拶には、
「絶対に事故を起こさない」という気持ちが込められていたようです。








端島では、学校、病院、商店のほか、
映画館やパチンコホールなど娯楽施設もそろっていましたが、
木々を育てる場所がなかったため、
PTAなどが協力してアパートの屋上に土を運び、
花や野菜を育てました。
これが日本初の屋上菜園だったと言われています。





飲料水も、最初は海水を蒸留して作っていたようですが、
のちに給水船で運ばれるようになりました。
しかし、お風呂の水は海水を沸かしたもので、
上がり湯だけしか真水を利用できませんでした。









写真ではイマイチ臨場感が伝わらないのですが、
ものすごい迫力、感動でしたo(*^▽^*)o
滅びゆくものの尊厳、美しさ、気高さと言ったら
とても言葉では伝えきれません♪




ちょっと細かい部分をご紹介します(*´ω`)o。゚:.









↑右側は、日本最古の7階建鉄筋コンクリート造高層アパート30号棟です。
1960年(大正5年)に建築されました。


左側の白い建物は31号棟。こちらも鉄筋コンクリート造です。


両方とも、当時の鉱員社宅として建設され、
内庭には吹き抜けの廊下と階段があり、
地下には売店もありました。
31号棟鉱員社宅には、地階に一般用の共同住宅があり、
1階には郵便局や理髪店も設置されていました。







続きまして・・・





↑高級職員用のアパートだった、3号棟です。


ものすごい高台にあって、島全体を見下ろすことができる位置に
建っています。
昔からお偉いさんは高いところが好きですねぇ・・・(笑)


ちなみに、この3号棟以外のアパートには室内風呂が設置されず、
公衆浴場が利用されていたようです。




続きまして、こちらは端島神社。








真ん中の小さいのが、お社です。
危険と隣り合わせの鉱員たちにとって、神社は心のよりどころであり、
毎年4月3日の山上祭は全島を挙げて盛大に行われました。







続いては、端島小中学校。







左の白い建物が、端島小中学校です。
右の黒い建物は鉱員社宅の65号棟で、屋上には幼稚園がありました。


1階から4階までが小学校、
5階と7階が中学校、
6階には講堂、図書館、音楽室、
7階には理科室などの特別教室がありました。
1970年(昭和45年)には、体育館や給食設備なども新設され、
給食を運ぶ島で唯一のエレベーターも作られました。







続いては、端島病院、隔離病棟です。







右側の白い建物が結核や天然痘などの患者さんのための隔離病棟、
左側が、端島病院です。


厳しい労働条件のもと、「もぐら」と呼ばれた鉱員さんたちは、
石炭を掘り起こしている現場とカーテン一枚隔てた場所で
昼食をとっていました。
そのため、じん肺症にかかることも多く、
そういった鉱員さん達が運ばれたのが、「端島病院」です。


島には緑が少なかったことから、
病院くらいは安らぎのある緑色にしようということで
緑色に塗装されたそうです。
今は殆ど緑色の塗装も剥げ落ちていますが、
良く見るとところどころ緑色が残っています。




続いては、木造住宅の23号棟です。







崩壊しているのがそれです。
木造の建物は見る影もありませんね・・・。




そしてその少し隣の、集合住宅。







一番左の建物が、鉱員合宿の啓明寮、
真ん中が鉱員社宅の61号棟で、
地階に共同浴場がありました。


右側が同じく鉱員社宅の60号棟で、
切れていますが一番右は59号棟です。
この2棟には、地下購買会といって、
日用品が買える購買が備えられていました。




最後に・・・


この軍艦島で、唯一現役として活躍しているのが、
この右端の灯台です。









夜になったらこの島は完全に真っ暗。
しかも周囲を護岸に囲まれているため、
船にその存在を知らせる唯一の手段が灯台というわけです。
灯台の隣の紺碧の壁は、閉ざされてしまった炭坑への入り口です。




繁栄全盛期の頃の写真を見ていると、
台風などの災害に幾度も見舞われながらも、
明るくたくましく、力強く生きる人々の姿が伝わってきます。
いわば独立国家のようなものですから、
島民の、端島に対する愛着も、計り知れないものだったでしょう。


しかし、時代の流れは残酷で・・・。
「いつか、またここに帰ってこれる日のために」
と、きちんと家に鍵をかけて、荷物もそのままに、
多くの島民は、この島を去って行ったようです。


その心を思うと、泣けてきます・・・((o(;△;)o))


しかし、光があれば影もある・・・
この島で働く人全員が、希望してこの職についていたかどうか・・・
それはダークなお話になりますので、
気になる方はぜひグーグルでお探しください(笑)


廃墟には、人の人生の流れが、たくさんつまっているんですよね・・・。
私は廃墟がまだ廃墟でなかったころの幻影を、
自分の頭で作り上げて、廃墟に投影して、
いろんな想いを巡らすのが大好きです♡


この島にいって、日本の歴史について、
改めて深く考えさせられました。




おまけ。。。





グラバー園にて♡


はい、どーでもいいですね・・・。゚(゚´ω`゚)゚
お目汚し失礼しました(笑)




話は戻って、


人が住まう・・・
人が暮らす場所というのは、
その人の人生そのものになるのだな、と改めて思った次第です。


住宅業界に携わる者として、
新たに心を入れ替えようと思いました。


長い記事になりましたが、
読んでくださった方、
最後までお付き合いいただきまして
ありがとうございました♡


それでは、また。





※当時の軍艦島の写真は、長崎文化観光様の
軍艦島上陸パンフレットより引用しています。
著作権侵害の意図は一切ございません。

2012年5月14日

れんげ畑♡

みなさん、こんにちはo(*^▽^*)o



最近、あまり見なくなったれんげ畑ですが、
久しぶりにこんなにたくさんのれんげ草を見ました♡

もっと近くで撮影できれば良かったんですけど、
信号待ちの時に車の中から撮ったので
こんなんでごめんなさい((o(;△;)o))


今日もいい一日でありますように♡

2012年5月 9日

先日

社員とお得意様で

バーベキューパーティーをしました。



あいにくの雨だったのですが、

お得意様がテントを持ってきて下さったので、

とても楽しい時間を過ごすことができました♡



いつもお得意様とは、

なかなかコミュニケーションをとれなかったりするのですが、

こういう機会を通じて、

いろんな方といろんなお話をすることができて、

本当にありがたい機会だったと思っています。



話は変わって、

ツツジの美しい季節になりましたね。



近所でも美しく咲き誇っています。

不安定な天候が続きますが、

お体にはお気を付け下さいね。


それでは、また。


ブログ投稿者
代表取締役
出身地:滋賀県東近江市
生年月日:1965年10月8日
趣味:ツーリング・居酒屋巡り

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