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2012年8月18日

建部大社 船幸祭

皆様、こんにちは♪


先日、滋賀県大津市の三大祭りの一つである

建部大社の船幸祭 にいってきました(*>ω<*)

個人的には一番好きな花火大会だったりします(///∇//)



瀬田川を、大神輿(みこし)をのせた船が

江州音頭の浪曲とともに、

船団を従えて瀬田川を往復し、

船団が瀬田浜へと帰ってくるころ、

それを迎えるように花火が打ち上げられるのです。



江州音頭が大好きな私です

滋賀に惚れたのはこの曲を聴いたからでもあります(#⌒∇⌒#)

歌詞は地域によって少し違うみたいです。


。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

ええ、みなさま頼みます
これからよいやせ〜と声掛け頼みます

(略)


あ〜心に一物手土産を
弟子こに持たせて佐の山の
九尺二軒の裏店に
訪れいたわる数々の
言葉の末に佐の山よ
力士稼業と言うものは
三十過ぎて幕内に
のぼれぬ様では見込がないぞ

おぬしも此処で此の稼業
水入りにして土俵を降りて
旧気で暮らすが上策じゃ
ソレ ヨイト ヨイヤマカ ドッコイサノセ

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。


音頭取りさんが歌う江州音頭のメロディーの中、

キラキラ輝く船たちが、

ゆっくりと川を下ります。


空に打ち上げられる花火が水に映って、

それはそれは美しいのです。。。

↑船が打ち上げ花火をあげながら

ゆっくりと進んでいきます。

火事ではありませんよw


小さくて見えませんが、

こども神輿の船団もあるのです。


打ち上げ数はそれほど多くはないのですが、

変わり玉が多くて、

色合いが美しいのが特徴です(*>ω<*)


クライマックスで豪雨になり、

動画は取れませんでしたが、

例年通り、胸が熱くなるエンディングでした。




というか、開始前からずっと暗雲がたちこめ、

空には稲光が走っていたのに、

よくぞ最後までもってくれたという感じです!!




きっと雷様も、

花火に魅せられていたのかもしれませんね(///ω///)


素敵な夏の最後を飾ってくれました(= '艸')


まだまだ残暑厳しいですが、

皆様、お体にはお気を付け下さいね♪


それでは、また。



2012年8月 9日

2012 びわこ大花火大会

先日の8月8日、大津港周辺で、
びわこ大花火大会が開催されました(*>ω<*)

いつもは人ごみの中、
えっちらおっちらと
岸辺ぎりぎりまで行くのですが、
びわこ大花火は、何百メートルも離れた左右から上がるため、
(どっちかに集中する形となってしまう)
近すぎると迫力はあるけど、
美しく見えないことがようやく数回目にしてわかり・・・(T_T)


今回は、少し離れた高台から見ることにしました(v´∀`)ハ(´∀`v)



やっぱり何度見ても感動しますー♡

去年で終わりと言われていた長浜花火も、今年は新団体が立ち上がって
経費を削減して開催されたようですし(当日まで知らず行けなかった(泣))、
短い夏を心に刻む証として、
是非ずっと続けて行っていただきたいものです(*´ -`)(´- `*)

ちなみに、花火が上がると、
「た〜まやぁ」と言いますよね。

その理由、ご存知ですか?

それでは、花火のルーツを織り混ぜて
「たまや〜」「かぎや〜」の豆知識をご紹介します。


花火の発祥はなんと紀元前3世紀!!

中国の火薬の発明が戦の武器となり、やがて通信手段のノロシが
夜にも用いられるようになって
火薬を煌かせる技術が、花火へと発展しました。


■慶長18年(1613年)8月6日

徳川家康が日本で初めて花火を観賞。
日本では種子島の鉄砲に使われた火薬が花火へと発展しました。
家康が見たのは竹筒に火薬を詰めて火を噴くだけのものでしたが、
三河地方に残る「手筒花火」はこの名残だといわれています。
その後花火は急速に発展し、江戸で開花します。

■享保18年(1733年)5月28日

両国の大川(現在の隅田川)にて川開き花火大会(隅田川花火大会の原型)開催。
そこで活躍したのが日本橋横山町の花火師、鍵屋六代目弥兵衛です。    

もともと「鍵屋」は葦(アシ)の管に火薬を詰めて星が飛び出す花火を開発し、
商才もあって花火市場をほぼ独占していました。
しかし、花火が火事の原因になるため町中では花火禁止令が出され、
隅田川の花火だけが許されます。
当時は納涼船を出して「鍵屋」に花火を上げさせるのが、
豪商たちの贅沢の象徴だったのです。

■文化5年(1808年)
……「鍵屋」番頭の静七が暖簾分けをし、
両国吉川町で玉屋市兵衛を名乗る。
やがて川の上流を「玉屋」、下流を「鍵屋」が担当し、
二大花火師の競演となるわけですね 。
これを応援するための掛け声が「たまや〜」「かぎや〜」だったのです。


しかし。。。。。。。


■天保14年(1843年)
「玉屋」の出火で大火事となり、玉屋市兵衛さんは
江戸から追放され、廃業の運びとなりました・・・。


つまり、「鍵屋」から暖簾分けした「玉屋」が存在したのは
なんとたった35年間!!
しかし、昔も今も花火の掛け声といえば「玉屋」のほうが断然多い!


「鍵屋」の弟子で後発の「玉屋」。
しかも火事を起こして追放されてしまった「玉屋」。
しかし、現役のころから「たまや〜」の掛け声のほうが多く、
その後も掛け声の代名詞として現在に至るのはなぜでしょう?


ひとつは花火の技術が勝っていたこと。

もうひとつは、語呂が良いので掛け声を掛けやすかったこと。

そして、江戸っ子気質がそうさせたこと。

こんな狂歌があります。




『橋の上 玉屋玉屋の声ばかり なぜに鍵屋と いわぬ情なし』



これは、実力があったのに、
たった一代で花火のように消えた「玉屋」への愛情を示したもの。
「情」に「錠」をかけており、


「鍵屋の声がねぇのもしかたあるめぇ。錠がねぇんで口が開かねぇ」


という詠み手の洒落を含んでいます。

一代にして儚く消えた玉屋さんは、
一瞬にして輝き、一瞬にして消えていく、
花火そのもののような人生だったわけですね・・・。


ちなみに「鍵屋」はその後も様々な花火を開発して、
日本の花火界をリードし、
なんと現在は女性当主が鍵屋15代目として活躍中です!!。


音にこだわり、日本古来の花火である“和火”復活に力を注ぐなど
花火の魅力を高めていますので、
ぜひ「かぎや〜」と掛け声をかけてあげてくださいねo(*^▽^*)o。


皆様、短い夏を楽しんでくださいね。
それでは、また。


参考文献

ブログ投稿者
代表取締役
出身地:滋賀県東近江市
生年月日:1965年10月8日
趣味:ツーリング・居酒屋巡り

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